道路や鉄道のうつりかわり
市の交通はどのようにかわってきたのでしょうか。
- 1924年
今治駅ができる。桜井駅との間で鉄道のえい業を開始。
同じ年、大井駅(いまの大西駅)まで鉄道がのびる。 - 1953年
国道196号線ができる。 - 1970年
国道317号線ができる。 - 1987年
国鉄が民えい化し、JRになる。 - 1991年
今の駅の建物ができる。 - 1992年
今治駅を通る鉄道が電化される。 - 1999年
今治小松自動車道が松山自動車道につながる。 - 2001年
今治小松自動車道・湯ノ浦インターチェンジができる。 - 2006年
しまなみ海道(今治~尾道)がつながる。 - 2012年
西瀬戸自動車道と湯ノ浦インターチェンジをつなぐ今治道路の工事が始まる。
今からおよそ100年前にさいしょの今治駅ができたんだね。
鉄道はだんだんのびてべんりになったんだね。
平成のさいしょのころには今のような鉄道のしくみができているね。
鉄道に続いて道路のせいびがどんどん進んでいるよ。
1999(平成11)年にはしまなみ海道の全ての橋が完成して、島への行き来がべんりになったよ。
今治小松自動車道・湯ノ浦インターチェンジ
通きんや通学にフェリーを使う人々(50年ほど前)
2000(平成12)年まで今治港と関西地方を結んでいた大がたフェリー
海に面した今治市は、昔から海の交通がさかんでした。1870(明治3)年には、すでに今治から大阪へ行く船の航路が開かれていました。1922(大正11)年に開港場となり、外国ともつながる重要港となります。
人々の移動の方法としても船は大切にされ、広島県や関西地方へ向かう多くの人々がりようしていました。
今治港をりようする人数の変化(単位:万人)
しかし、自動車や飛行機などさまざまな交通が発てんしていく中、船をりようする人は少なくなりました。
2006(平成18)年、西瀬戸自動車道(しまなみ海道)が開通すると、船をりようする人はさらに大きくへっていきました。
お父さんの話
お父さんが子どものころは、自然の家に行くにも、修学旅行に行くにも船をりようしていたよ。たくさんの友だちとゆっくりすごせる船の旅は、とても楽しくていい思い出だな。
今のようにバスで橋を渡って、早くてべんりな旅ができるのもいいね。