きょう土の伝統でんとう文化ぶんかと先人たち

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今治いまばりじょう

  • 今治城の天守閣今治城の天守閣てんしゅかく
  • 武具やぐら武具ぶぐやぐら

 この写真しゃしんは、今治城です。今からやく400年前に藤堂とうどう高虎たかとらがつくりました。

 高虎は、関ケ原せきがはらたたかいで、てがらをたてました。そこで、国府こくふ)城のとのさまになりました。そのころ、国府城は桜井さくらい唐子山からこやまにありました。しかし、小さくて不便ふべんだったので、今のところに今治城や城下町じょうかまちをつくることを徳川家康とくがわいえやすにゆるしてもらいました。ほりは、全国ぜんこくでもめずらしい海水を引き入れたもので、三じゅうになっていました。平地へいちにつくられたしろとしてはとても大きなものでした。

 城をつくる石などの材料ざいりょうは、国府城をこわしたものや、大島おおしま伯方島はかたじまからはこばせたものでした。

 できあがると、家来けらいを外ぼりの内がわにまわせ、城の北西には商人しょうにんやしょく人をまわせました。海べにはりょうし、そのほかのところには農民のうみんを住まわせるようにしました。

※城下町
お城を中心にしてできた町のこと

※徳川家康
このころかつやくしたさむらいの大しょうの一人です。江戸えど幕府ばくふをつくり、将軍しょうぐんとなって全国をおさめました。