門口池と水路
今から、200年あまり前の江戸時代の中ごろ、長井忠五右衛門は※古谷台地の開発を進めました。
古谷台地
※げんざいの朝倉古谷地区門口池と水路
忠五右衛門は、古谷台地の水不足をなくすために、まず門口池をつくりました。多くの人の苦労のすえ、ダム式貯水池が完成しました。
ところが、大きな問題がまだあリました。水を、万灯山と多伎川をこえさせなければならなかったのです。忠五右衛門はまず、※ちょうちん測量という方法を使い、真っすぐな水路をつくりました。次に、多伎川の上に水路を通すために、水道橋をつくることに成功したのです。
こうした努力やふうにより、古谷台地40※ヘクタールがりっぱな水田になったのです。
※ちょうちん測量
夜、ちょうちんをならべて、 高いところからきちんと並んでいるかをたしかめながら、土地をはかる方法。
※1ヘクタール
1辺100mの正方形の広さ