きょう土の伝統でんとう文化ぶんかと先人たち

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今治いまばり地方のはってんにつくした人たち

  • 矢野七三郎矢野七三郎
  • 飯 忠七飯 忠七

 今治地方の発てんにつくした人は、ほかにもたくさんいます。

 波止浜はしはま塩田えんでんのもとをきずいた長谷部はせべ九兵衛きゅうべえ伯方島はかたじま古江浜ふるえはま塩田をつくるさいに力をつくした深見ふかみ利兵衛りべえです。 塩田は、今の造船ぞうせん海運かいうん発てんのきっかけの一つとなりました。

 また、「今治綿業めんぎょうの父」といわれた矢野やの七三郎しちさぶろうや、汽船の今治こう寄港きこう運動うんどうはじ商業しょうぎょうの発てんにつくした飯忠七いいちゅうしちなどもいました。

 月原つきはら門左衛門もんざえもん月原つきはら久四郎きゅうしろうなど、桜井さくらい漆器しっきの発てんに力をつくした人もいます。

 このように、多くの人々のはたらきや努力どりょくにより、わたしたちの生活がよくなり、今治地方の産業さんぎょう文化ぶんかは発てんしてきたのです。

※汽船
じょうき機関きかんの力で走る船

※寄港
船が港に立ち寄ること。